コズミックフロントNEXT「東京プラネタリウム~七夕 恋をかなえる星月夜~」

街明かりで星空を失った大都市・東京。しかし、江戸時代の浮世絵の多くには満天の星が描かれていました。

「夜桜美人図」。江戸時代後期に葛飾応為によって描かれた作品です。応為は江戸を代表する浮世絵師葛飾北斎の娘です。繊細な筆使いで灯篭の光に浮かび上がる桜や女性の顔、手元を描き出し光と影の描写に優れていたと言われています。中でも星は詳しく描写され白や青、赤などに色分けされています。星は表面温度が高いほど青白く輝き、温度が低いほど赤く輝きます。その色の違いを表したのです。この絵の舞台と言われているのが上野の「清水観音堂」です。秋色という女流俳諧師が清水観音堂の桜を見て詠んだ句が評判になったことから絵のモデルにしたと考えられています。

「君にのみ 逢はまくほしの 夕されば 空に満ちぬる わが心かな」 -夕方になると空に星が満ちるようにあなたに会いたい気持ちでいっぱになる-

眩い光によって星を失った大都市東京。今から300年前の江戸時代。両国橋の夜の景観は今と大きく異なっていました。風景画の名手として知られる「歌川豊春」の傑作「新版浮絵両国之図」です。夏の隅田川に屋形船が出て空に花火が打ち上げられています。橋や両岸の茶屋は夕涼みの人々で賑わいます。頭上に輝くのは数え切れないほどの星。東京の夜空はかつて満天の星で満ち溢れていたのです。

「こいこひて あふ夜はこよひ 天の川 霧立ちわたり あけずもあらなむ」 -七夕の夜ずっと大好きだった人についに会える。今夜は天の川に霧が立ち込めてずっと夜が明けなければいいのに-

今から150年ほど前まで満天の星に包まれていた東京。当時はなぜ星がよく見えたのでしょうか。江戸時代星が綺麗だったというのは現在と比べるとやっぱり空気が澄んでたということと同時に夜が暗かったということがあります。暗闇が逆に星を浮き立たせていたのです。

お日さまが昇ると同時に仕事をして生活をしてお日様が沈むと寝てしまうという生活をしていた江戸時代。だんだん油とか蝋燭とかそういうものが普及してくると夜の生活っていうのが長くなっていきました。夜の生活が長くなるにつれて人々が非常に行動的になります。

星が輝く夜。上野広小路の通りを行き交う人々をユーモラスに描いた作品です。何かの弾みで食べ物の屋台が壊れその混乱に乗じて子供がその品物を食べているようです。

活動する時間が長くなってそれから活動する領域が拡大していきます。すると今まで出会わなかったものに会ってくる。実際にいたかいないかは別として色んな所で幽霊が出たりお化けが出たり化かされたりっていう逸話が残ってくることになります。

「百物語化物屋敷の図」です。江戸後期に人気だった落語家林家正蔵の怪談話を描いたと言われています。当時夜な夜な仲間で集まって怪談話を楽しむ百物語という遊びが流行りました。夜の暗さは星空だけでなく怪談という新しい文化を生み出したのです。ご存知「さらやしき」。古井戸に身を投げたお菊が夜ごとに現れ恨めし気に皿を数えます。

七夕とは天の川に隔てられた織姫と彦星が7月7日の夜年に一度だけ会うという伝説です。 夏の夜空に広がる大三角形。織姫はこと座のベガ。彦星はわし座のアルタイルです。笹の葉に短冊を結び付けて願い事をするようになったのは江戸時代。七夕の前日7月6日から物干し台等に笹や竹などを立て色彩豊かな飾り物を結び付けたと言います。

「寿老人」が祀られているのが「大鳥神社」です。りゅうこつ座の一等星「カノープス」の化身寿老人は七福神の一つで長寿のご利益で知られる神様です。「七福神」とは福をもたらすとして信仰される7つの神様の総称です。参拝すると七つの災難から逃れて7つの幸福が授かると言われています。冬の1月から2月にかけて南の地平線すれすれに現れる「カノープス」。ビルの多い都心からはほとんど見ることができません。滅多に見られない星なので見ることができたら長生きすると言い伝えがあるのです。

「わが恋は 空なる星の 数なれや 人に知られで 年の経ぬれば」 -空にある星の数がどれほどあるか人に分からないように私の恋のつきせぬ想いもあの人には気づいてもらえない-

日本人は昔から月の情緒を大切にしてきました。特に美しいと言われる秋の月。空が澄み渡りくっきりとした姿を覗かせます。江戸時代に開園した「向島百花園」。今も伝統的なお月見会が開かれます。元々お月見は平安時代の貴族が月を眺めながら歌を詠み雅楽を演奏する宮廷行事のひとつでした。その風習が庶民に伝わったのは江戸時代。月に見立てた団子や旬の野菜や果物をお供えし秋の収穫を祈願する行事へと変化していきました。

高輪の海岸にならぶ握り寿司、天ぷら、そば等の屋台。月を待つことを口実に夜中まで堂々と宴会を楽しんでいたのです。時が流れ東京はその姿を大きく変えました。しかし今も夜空を見上げ月や星に思いをはせて暮らす人々がいます。

東京の島、伊豆諸島です。その南に位置する「青ヶ島」。黒潮と断崖絶壁に囲まれ浜辺や入り江はありません。わずかな高波でも船は着岸できなくなります。島民はおよそ170人。日本で最も人口の少ない村です。死ぬまでに見るべき絶景にも選ばれた不思議な景観。世界的にも珍しい二重カルデラです。島の中心部は火山活動によってできた窪地、カルデラの中にあり中央にはもう一つの火山があります。「ひんぎゃ」と呼ばれる蒸気が今も噴出す活火山の島です。

街灯も少ない青ヶ島、夜になると一面が星に覆われます。島で生まれ育った人にとって星はどのような存在なのでしょうか。「もちろん星と共に生きるからね。電気も無い時代だから私たちが子供の頃は。本当に夜は星を見ながら育ったようなもの。星を見て思い出すというのは子供の頃に先祖がね、おじいちゃん、おばあちゃんが星になると言われて育ったから。輝いている時は何か話しかけてくれてんのかなと思うような時もあありますよ。雰囲気的にね。」

「なにごとも かはりはてぬる 世の中に 契りたがはぬ 星合の空」 -世の中いくら変わっても星と星が出会う約束だけは変わることなく守られている。お腹空いた-

星の輝きで満たされていた江戸の夜。見上げると星があるのが当たり前だった時代にその星が見えなくなると想像した人がいたでしょうか。今も夜空の向こうで輝く星々。人々のささやかな願いが託されています。

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