コズミックフロントNEXT「知られざる イスラム天文学」

1:天文学のツールは中東・イスラムにあった

夜空に輝くたくさんの星。明るい星をはじめとして様々な名前がつけられています。その形や名前はどのようにして決まったのでしょうか。実はそのルーツの一つは1000年以上前の中東地域にさかのぼります。中東アラブ首長国連邦の砂漠地帯。地元の天文観測グループの代表を務めるはハリーリーさんです。砂漠の民ベドウィンを先祖に持つハリーリーさんの家系には代々星との関わりが伝承されてきたといいます。

「私の祖先は代々絹の布地の取引を営んでいました。隊商を組んで砂漠を旅する暮らしでは星を使って目的地の方角を読み取っていました。私たちにとって星を知ることはとても重要だったのです。私たちの祖先は明るい星をよく知っていました。そして目立つ星を中心に形を作って見分けていました。子供が遊ぶように星と星を線でつなぎ星座の形で覚えたのです。」

夏の夜空で見ることができる「夏の大三角」。日本でも見える三つの星です。「こうした星の名前の多くはアラビア語がルーツなんです。アルタイルは「鳥」デネブは「尾っぽ」という意味です。」そしてこと座のベガはアラビア語の「落ちる」という言葉が元になっています。この他にもオリオン座のリゲルや牡牛座のアルデバランなど明るい星の多くはアラビア語が起源になっているんです。

古くはメソポタミア・エジプト・ギリシアなどで発展してきた天文学。その後7世紀に始まるイスラム王朝に引き継がれ大きく花開きました。ヨーロッパでルネサンスが始まる15世紀頃まで天文学の中心はイスラム世界にあったのです。

でもなぜイスラム世界で天文学は発展したのでしょうか。その大きな理由の一つは1日5回行うことが義務とされる礼拝です。礼拝で大切なのがお祈りの方向です。常に聖地メッカの方向にお祈りをしなくてはなりません。また1日5回の礼拝は夜明け前から始まり太陽の位置を基準として決められています。いつどこにいてもお祈りの方向と時間を把握するために天文観測が不可欠だったのです。宗教の厳密な戒律が天文学を高いレベルまで進歩させたといえるでしょう。中世イスラム世界の天文学にイスラム教は重要な影響を与えたのです。

宗教上の必要性から天文学を取り入れたイスラム世界。現在でもイスラムの人々の暮らしと天文学には深い結びつきがあります。イスラムの断食月「ラマダン」は一年に一度一か月間日中に断食をするイスラム教徒の大切な義務のひとつ。断食をすることで身を清め欲を捨て信仰心を高める目的があるといいます。実はこの断食の始まりと終わり時を告げるのは月。イスラムの暦は月の満ち欠けをもとに決められています。普通新月の後の細い月が一日になります。そのためイスラムの国々では実際に月を見てラマダン入りを決めたり確認したりする習慣が現在でも続けられています。

宗教の教えのもと天文学が進んだ中世のイスラム世界。イギリスオックスフォード大学にその集大成とも呼ばれる貴重な文書が保管されています。「星座の書」と呼ばれ世界最古の星座絵が描かれた本です。およそ1000年前10世紀にまとめられました。

この星座の書で特にユニークなのがアンドロメダ座。この絵の最も興味深い点は2匹の魚の口先に描かれた細かいシミのような塊。星座の説明文には雲のようなものが見えるとあります。この雲が書いてある位置にあったのは実は「アンドロメダ銀河」。なんとこの魚の口先に描かれた塊は人類が銀河を記録した最古のものだったのです。アンドロメダ銀河は非常に大きな銀河です。そのため肉眼で見ることが可能だったのです。この星座の書から始まった星座絵はその後の天文学者に引き継がれていきました。現在私たちが親しむ星座絵のルーツはイスラムの天文学者が編み出したものだったのです。

2:イスラム天文学 発展の意外な理由とは

中世の時代イスラムの商人たちはインド洋を始め世界中を航海し各地と交易を行っていました。こちらはその時代の航海の様子。船乗りが手にしている円盤状の器具が極めて重要だったと言います。中世イスラム時代には様々な科学器具が開発されました。中でも最も興味深いのが「アストロラーベ」です。まさにあのイラストの器具にそっくりです。

アストロラーベは星や太陽の位置や時間などあらゆる計測に使われていました。いわばアナログコンピューターなのです。アストロラーベはもともとは古代ギリシャで発明され8世紀頃からイスラム世界で実用化されました。主に真鍮が使われ専門の職人によってひとつひとつ作られました。値段がつけられないほど高価な器具だったと言われます。

イスラムの科学者たちはこの道具を改良しながら使っていました。彼らにとって何よりも大切なものだったのです。アストロラーベでは星の位置や高さをもとにして時間や自分の位置などを割り出すことができるのです。中世のイスラム世界ではアストロラーベを使い天文観測や測量・航海が盛んに行われました。

このアストロラーベは「占星術」のためにも使われていました。古来より地球や人間の営みは宇宙と関わっており占星術は自然科学の一つと考えられていたと言います。占星術は宇宙の作用を考える上で必要不可欠な学問でした。占星術は古来より地球や人間の営みは宇宙と関わっていると考えら自然科学の一端を担っていたのです。中世イスラムでは戦争をはじめ都市の建設や皇帝の婚姻など国家の重要な決定には占星術が不可欠でした。天文学は占星術を行うために必要だった学問という位置付けだったのです。実用的な占星術のために天文学は学ばれていたのです。

占星術を原動力にして発展を遂げた中世イスラムの天文観測技術。その最高傑作とも言える観測装置が中央アジア・ウズベキスタンのシルクロードの中継都市として栄えた「サマルカンド」にあります。深さは10m。奥行きは20mほど。これはウルグベク天文台と呼ばれ望遠鏡が発明されるまで最も精密な天体観測装置でした。角度1°の間隔は72cm。 0.1°以下の高精度の観測が太陽の光を使い可能になっていたのです。

この巨大かつ精密な天文台を建設したのが「ウルグ・ベク」。15世紀サマルカンド周辺を支配していた王朝の君主で天文学者としても活躍していました。ウルグ・ベクは天文学を発展させるため「マドラサ」と呼ばれる学問所も設置しました。

その中で最も世界を驚かせたものがありました。私達の観測によると1年の長さは「365日5時間49分後15秒」です。これはウルグベク天文台の観測から計算された1年の時の長さです。現代科学の計算では1年は「365日5時間48分後46秒」。その差はわずか29秒。驚くべき精度を誇っていたのです。ウルグベク天文台はイスラム天文学の最高傑作と言えるでしょう。世界を席巻したイスラム天文学の頂点を極めたのです。

3:地動説とイスラム天文学のミステリー

16世紀の天文学者「ニコラウス・コペルニクス」。天動説を覆す「地動説」を発表し天文学に革命を起こしました。これはコペルニクスが使っていたアストロラーベです。中世のイスラム世界で発展したアストロラーベ。11世紀頃にヨーロッパに伝わりました。コペルニクスはこのアストロラーベなどを使って天体観測を重ねます。そしてそれまで常識だった天動説に疑問を持ち始めたと言います。地動説にはイスラム天文学の観測技術が貢献していたのです。

コペルニクスは孤立した天才とされてきましたが私たちは彼がイスラム天文学に大きく依存していたことを突き止めました。コペルニクスの著書に書かれている一つの図。主に惑星の動きについて説明する幾何学モデルを示したものです。このモデルを使うと地球から見た惑星の不思議な動きを説明することができます。ところがこの幾何学モデル実は13世紀のペルシャで発表された天文学の資料の幾何学モデルと同じものでした。

この幾何学モデルを世界で最初に考案したのは13世紀に活躍したペルシャの天文学者「トゥースィー」でした。この幾何学モデルは考案者の名前をつけて「トゥースィー・カップル」と呼ばれています。ペルシャに生まれたトゥースィーは偉大な天文学者として名を馳せました。そして1274年に亡くなっています。トゥースィーがなくなったのはコペルニクスが生まれる200年も前のことです。コペルニクスはイスラム天文学者のアイデアを引用したのかそれとも偶然の一致なのか。

最近その謎を解明する有力な手掛かりが見つかりました。16世紀にトルコで活躍していたユダヤ人天文学者モーゼズ・ガリアノの自伝です。ガリアノは西暦1500年頃にイタリアベネチアに滞在していました。実はちょうど同じ時期コペルニクスはヴェネチア近郊のパドバ大学に留学していました。コペルニクスとイスラム天文学をつないだキーマンはユダヤ人天文学ガリアノのだったと考えています。コペルニクスにイスラム天文学の知識がなかったら地動説は生まれていなかったでしょう。科学史上最大の革命とも言われる地動説。その誕生にはイスラム天文学の功績が隠されていたのです。中世の時代世界をリードしたイスラム天文学。ところが16世紀以降イスラム王朝の衰退とともに力を失っていきます。そしてその後長きにわたり天文学の表舞台に登場することはありませんでした。

21世紀の今イスラム世界が再び天文学の最先端に乗り出そうとしています。中心となっているのがアラブ首長国連邦。石油資源への依存から脱却し科学技術立国を目指しています。現在そのための技術の向上と人材育成が急ピッチで進んでいます。中核を担うのは若手のエンジニアたち。彼らの手にイスラム天文学の復活がかかっています。

中世ヨーロッパの天文学が停滞した中で世界の最先端を極めたイスラム天文学。観測技術を発展させ天文データを蓄積。宇宙の仕組みを解き明かしてきました。その成果は後の地動説に始まる近代科学の礎となります。イスラム天文学者たちの功績は現代科学のルーツのひとつともいえるのです。

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